社会への問いを、創業の推進力に – 特定外来生物のジビエ化に挑む青年のお話

 2025/03/23

伊豆大島には、約17,000頭もの特定外来生物「キョン」が生息しています。中国や台湾を原産とするこの小型のシカの仲間は、1970年の台風被害で動物園から逃げ出したことをきっかけに繁殖し、現在に至ります。

島では、特産の明日葉をはじめとする農作物への被害が深刻化し、島全体で防除事業が進められています。しかし、これまでキョンは駆除対象として、ただ殺処分されるのみ。ジビエとしての活用は制約が多く、実際に事業化に踏み切る人はほとんどいませんでした。

そんな中、『キョンを大島の新たな資源に変えたい』と19歳の青年、河原晴馬さんが挑戦を始めました。キョンのジビエ化という前例のない挑戦になぜ取り組むのか、その想いと背景を伺いました。

余白に惹かれて、高校三年生で伊豆大島に移住

上京し、通信制高校のゼロ高等学院に通っていた河原さん。
東京での暮らしにも慣れてきた頃、ふと「都内とは全く違う暮らしを見てみたい」という気持ちが芽生えました。

「都会とは正反対の環境で、人々はどんな暮らしをしているんだろう?」
そんな思いを抱きながら、伊豆大島のシェアハウスに連絡を取り、1週間の滞在を決意します。

『ゼロ高等学院生の1週間伊豆大島探究記』

河原晴馬さんは堀江貴文さんが主催する通信制高校『ゼロ高等学院』の3年生。今回、思い立って伊豆大島に1週間滞在をしました。滞在中に彼が見つけた今後のやりたいこと、島で出会った人々との交流を通じて感じたことについてのレポートをお届けします。

「伊豆大島に初めて来た日に、シェアハウスで交流BBQがありました。そこで八丈島出身の大学生2人が、『島の未来のために何かしたいけど、どうすればいいかわからない。同級生からは“そんなの意味ないよ”って言われて悔しい』と涙をこらえながら真剣に語っていたんです。」

自分と同世代の若者が、島の未来を本気で考え、悩んでいる。その姿に衝撃を受けた河原さんは、島が人を呼び、惹きつけるその魅力に強く惹かれ、伊豆大島への移住を決意します。

もう一つ、島を訪れて気づいたことがあると言います。

「島を一周してまず感じたのは、“余白”でした。建物や風景に、まるで時間が一世代前で止まっているような印象を受けたんです。でも、それは同時に“誰も手をつけていない”ということでもありました。余白が多いからこそ、自分が一番手としてチャレンジできる。むしろ、それが自分にとってのチャンスに思えたんです。

もともと僕は、二番煎じなことをやりたくない、比べられたくないという気持ちを強く持っていました。この気持ちの原点は、幼少期の経験にあると思います。

僕は小学生まで、1学年30人ほどの田舎で育ちました。ルールも少なくて、自由を謳歌していたと思うのですが、中学受験を機に、初めて競争の世界に飛び込むことになりました。誰かと比べられ、順位をつけられる環境に、すごく息苦しさや不自由さを感じたのを覚えています。だからこそ、比較されることなく、自分のやりたいことを形にできる場所を探していたのかもしれません。それが島の持つ“余白”に惹かれた理由だったんです。」

違和感から学んだ、観光の本質

伊豆大島に移住し、シェアハウスでの暮らしをスタートさせた河原さん。オンライン授業を受けながら、次第に島の暮らしに馴染んでいきました。

しかし、島での生活が続くうちに、ふと手持ち無沙汰を感じることが増えて行ったそうです。都会のように何かに追われることもなく、時間がゆっくりと流れる中で、島の人たちはどのように日々を豊かに過ごしているのか。その暮らしぶりに興味を持ち、自分にも何かできることがあるのではないかと模索し始めました。

「高校1年生くらいからずっと、旅に憧れがあり、将来は観光に関わる仕事がしたいと考えていました。観光で稼ぐためには、その土地ならではの魅力が大切になる。地域の“らしさ”が鍵だと思ったんです。

そんなことを考えていた頃、宮古島に遊びに行き、焼肉屋で短期のアルバイトをしました。そこで驚いたのが、提供されるお肉がすべてオーストラリア産だったこと。宮古島は観光地として成功していて、新しい空港や高騰する家賃など、まさにバブルのような状態でした。でも、出されるお肉がすべてオーストラリア産で、地元の食材がほとんど使われていない。そのことに強い違和感を覚えたんです。」

観光の本質を考える中で、河原さんは「住」と「食」が特に重要だと感じるようになります。実は高校生のとき、宿泊施設を作る計画を本気でプレゼンしたこともあったそうです。宿泊事業は一度挫折したものの、次に挑戦しようと思ったのが、「食」でした。

「憧れであった観光に関わる方法として、一次産業という切り口がある。それは自分にとっても、大島にとっても良い選択肢なのではないか、と思えたんです。」

一次産業への挑戦

大島で何かに挑戦しようと考えた河原さんは、自身の経験を活かしたプロジェクトに取り組みます。

「最初の試みは、東京のインターン先でWeb3を勉強していたこともあり、NFTを活用して伊豆大島の産直野菜を届ける『リトウくんfood』というサービスでした。単なる食材販売ではなく、島の風土や物語をセットにすることで、東京諸島の“食”のファンを増やし、観光にもつなげたいと考えていました。」

テスト販売までは実施したものの、採算の問題や、大島にはキャッチーで目立った農作物が少なく訴求が難しいこともあり、計画は道半ばで頓挫してしまいました。

「『リトウくんfood』は難しいなと感じたときから、2カ月ほど島でできることを模索し続けていました。ちょうど高校を卒業したタイミングとも重なり、自分のエネルギーを注げるものが見つからないことにモヤモヤしていたんです。」

そんなとき、知人から「キョンハンターにならないか?」と声をかけられます。キョンのジビエ化のために解体施設を作ったものの、使われておらず、事業化してくれる人を探しているということでした。

「それまでずっと、自分が何をしたいのかを探し続けていたので、キョンという対象が見つかったことで、これだ!と気持ちが固まった感じでした。」

実は、「リトウくんfood」が行き詰まったとき、島を離れることも考えたと言います。

「でも、1年ほど暮らしてみて、たくさんの人にお世話になりました。この島には余白があるからこそ、自分ができることがあるはず。何も挑戦せずに離れるのは違うなと感じたんです。」

日本初のキョン専門ジビエ屋に挑む

キョンハンターになることを決めた河原さんは、まず千葉県のジビエ処理施設で3ヶ月の研修を受け、狩猟や解体の技術を学びました。その後、伊豆大島でキョン専門のジビエ事業を立ち上げるためにクラウドファンディングを実施。目標額を大きく超える支援を集め、解体施設の改装など、着実に事業の準備を進めています。

キョンの利活用を通して、河原さんが目指す未来とは何なのでしょうか。

「大きなビジョンはありますが、まずは持続可能な事業として育てていかなければいけないと思っています。ただ、個人的な想いとしては、過去の自分のように満ち足りた社会の中で生きる目的を見出せずにいる人たちに対して、ワクワクするような視点を示していきたいです。キョンは本来、駆除の対象で価値を持たない存在だったわけじゃないですか。だけど、発想を転換すれば新たな可能性が生まれるポテンシャルがあると思っています。この考えって、実はいろんな物事に当てはめられると思うんですよね。」

河原さんの取り組みは、単にビジネスを立ち上げるのではなく、仕組みそのものをデザインしているように感じます。目のつけどころがユニークで、どこかクリエイター的な視点を持ち、それを形にしていくプロセスに私たちは魅力を感じているのかもしれません。

「あくまで自分は生産者ですが、目指したい理想の姿があって、それはすごく曖昧な姿なんですけど、そのイメージを形にするために進んでいるんだと思います。」

若い世代が考える、島での創業のメリットとは

19歳で島での創業に挑戦する河原さん。島でビジネスを始めることには、思っていた以上に多くのメリットがあると感じているそうです。

「都内にいると、若いうちから起業しろ、転職しろといったプレッシャーを感じる場面が多く、焦ってしまうことも多かったです。でも、島にはそうしたノイズが少なく、自分のペースでやりたいことに向き合える環境があります。それに、島の人たちはアドバイスをくれたり、応援してくれたりと、温かく見守ってくれる。そうした支えがあるのも、島ならではの魅力だと思います。」

取材中、河原さんが「僕は、豊かな社会の中でどう生きれば良いのか、その答えをずっと探しているんです。」と教えてくれました。
選択肢が多いからこそ、自分の進むべき道を見失いやすい時代だと感じます。そんな中で、自分のルーツを大切にしながら、社会への問いを推進力に変えていく河原さん。その姿は、これからの時代を生きる多くの若者に勇気を与えてくれるはずです。

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