言葉になる前のかたち—島と東京を往復しながら考える、暮らしと創造性
デザインをするとき、考え抜いた先であえて言葉を手放し、無心で線を引くことがあります。そこで現れる「これだ」と思える形は、どこからやってくるのか。暗黙知という考え方を手がかりに、日々の経験が創造性へとつながる可能性を探ります。伊豆大島と東京を往復する暮らしのなかで考えた、言葉になる前の感覚と、つくることについてのエッセイです。
エッセイを読む島と都市のあいだで、
暮らしと思考をひらく。
島で暮らし、都市を歩き、本を読み、手を動かす。
日々のなかに生まれる気づきや問いから、
感じること、暮らすこと、つくることのつながりを考える。
東京都離島区のエッセイコーナーです。
デザインをするとき、考え抜いた先であえて言葉を手放し、無心で線を引くことがあります。そこで現れる「これだ」と思える形は、どこからやってくるのか。暗黙知という考え方を手がかりに、日々の経験が創造性へとつながる可能性を探ります。伊豆大島と東京を往復する暮らしのなかで考えた、言葉になる前の感覚と、つくることについてのエッセイです。
エッセイを読む
國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を読み返すなかで心に残った、人間の「環世界間移動能力」と、何かに「とりさらわれる」という感覚。スマートフォンに注意を奪われ続ける日々と、都市と島を往復する暮らしを重ねながら、楽しむこと、受け取ること、そして「やらずにはいられない」衝動がライフプロジェクトへ育っていく余白について考えます。退屈をなくすのではなく、世界から届く何かを受け取れる暮らしとは。
エッセイを読む
場所を変えることは、感受性を組み替えること。馴染んだ環境を離れ、新たな土地に身を置くと、見るもの、聞こえる音、流れる時間が変わり、自分の表現にも変化が生まれていきます。伊豆大島に移住して15年。裏砂漠の風景から始まった島での日々を振り返りながら、「見ること」が難しくなった時代における眼差しのあり方と、見る余白をつくるメディアの役割について考えます。
エッセイを読む都市と離島のあいだで、ともに考える。
Be Thinkは、ワークショップから始まりました。