島で何をするかの前に。「わたし」と地域のあいだから、仕事を考える
「島で何かを始めたい人に、どのように伝えたらいいのだろう。」
2026年9月4日、東京都商工会連合会主催、株式会社TIAM企画・運営のもと、八丈島での創業・事業承継をテーマにしたオンラインセミナー「わたしらしく しまとくらす」を開催するなかで、そんなことを考えていました。
創業のための資金や制度。事業計画のつくり方。誰かの仕事を引き継ぐための手続き。島ならではの物流や人材の問題。実際に事業を始めたり、受け継いだりするなら、どれも欠かすことのできない話です。そして、そうした具体的な「HOW」には、商工会や金融機関、専門家など、相談できる人たちもいます。けれど、東京都離島区としてこのセミナーをつくるなら、そのもう少し手前にあることから考えてみたいと思いました。
島で何をするかの前に。自分は、どんなふうに暮らし、どんなふうに働いていきたいのか。
今回のセミナーでは、そんな問いを出発点に据えました。

島での仕事や暮らしは、もちろん自分のやりたいことだけでは完結しません。そこにはすでに人が暮らしています。長い時間のなかで育まれてきた文化や産業があり、自然があり、人と人との関係があります。そこへ「わたし」が関わることで、何かが変わります。同時に、その土地や人との関係によって、「わたし」自身もまた変わっていくはずです。
今回のセミナーを考えるなかで見えてきたのは、「わたしらしく暮らす」ということは、最初から決まった自分らしさを守り続けることではなく、地域との関係のなかで変化しながら、自分なりの仕事や暮らしをつくっていくことなのかもしれない、ということでした。
「課題」だけで、地域は見えるだろうか
島について話をすると、「人口減少」「担い手不足」「人手不足」「空き家」「物流」「事業承継」といった言葉がよく登場します。
どれも、実際に島が抱えている課題です。目を背けることはできません。一方で、東京都離島区の取材などを通じて島を歩き、人に会い、話を聞いていると、こうした言葉だけでは見えなくなってしまうものがあると感じています。

たとえば「後継者不足」。その一言の向こうには、何十年も仕事を続けてきた人がいます。そこで培われた技術があり、お客さんとの関係があり、仕事を通して地域に残ってきた記憶があります。「地域資源」という言葉についても同じです。農産物や水産物、土地や建物のような目に見えるものだけが、その土地の資源ではありません。
「子どものころ、当たり前のように食べていた」
「なくなってしまうと寂しい」
「この風景があるから、この土地らしいと思える」
そんな人の記憶や感覚もまた、地域を形づくっています。
セミナーで魚谷孝之さんが語った「地域資源というのは、モノだけではない。人の中に蓄積された記憶も、地域資源なんだと思います」という言葉は、そのことを端的に表していました。
地域を課題解決の対象としてだけ見れば、地域は「問題のある場所」になります。けれど、そこで実際に暮らす人の側から見れば、その土地には「課題」という言葉だけでは説明できない日々の営みがあります。東京都離島区がこれまで取材を通して見つめてきたのも、むしろ、そうした数字には表れにくいものだったように思います。
「わたし」を主語にしてみる
では、地域で新しい仕事を始めるとき、何から考えればよいのでしょうか。
地域に何が足りないのか。
どんな仕事が必要なのか。
何をすれば地域が活性化するのか。
そうした問いから始めることもできます。けれど、もう一つ別の入口があってもいいはずです。
私は、どう暮らしたいのだろう。
どんなふうに働きたいのだろう。
何を大切にしながら生きていきたいのだろう。

今回のセミナーでは、地域を主語にして「地域のために何ができるか」と考える前に、まず「わたし」を主語にしてみることを提案しました。これは、自分のやりたいことを地域より優先しよう、という話ではありません。好きなこと。これまで身につけてきたこと。苦手なこと。大切にしたい時間。どんな働き方なら続けていけそうか。そんな自分自身の輪郭と、その土地にすでにある自然や文化、人、仕事が触れ合うところに、まだ名前のついていない仕事が生まれることがあります。そして、そこから先は、自分一人の物語ではなくなっていきます。
「わたしらしく」とは、変わらないことではない
地域と関わることで、「わたし」も変わっていきます。たとえば、八丈島と東京を中心として各地を行き来しながら、写真や映像、デザインの仕事を続けているフルタヨウスケさん。
「流れ」に委ねた先で出会う、風景と人と表現の可能性
写真、グラフィックデザイン、映像制作などジャンルを横断しながら多彩な表現を追い求めるクリエーターのフルタヨウスケさん。東京でデザイナーとしてキャリアを積んだ後、流れに身を任せるようにたどり着いた八丈島で、独自の表現活動を続けています。
八丈島との関わりは、最初から「島で仕事をしよう」と計画して始まったものではありませんでした。人との出会いから島を訪れ、何度も通い、少しずつ仕事が生まれ、関係が深まっていく。その過程で、島に自分の専門性を持ち込んだだけではなく、フルタさん自身の仕事の仕方や、人との関わり方も変化していったといいます。
セミナーでも、人生には、何かを計画している最中に起こる「別の出来事」があることを印象的に語っていました。
最初に決めた目的地へ一直線に進むのではなく、人や場所との出会いによって、進む方向そのものが変わっていく。それは、計画から外れてしまったということではなく、地域との関係が生まれたからこその変化なのだと思います。
Tokyo Island Vanillaの松本さんの歩みにも、似たものを感じます。もともと植物が好きだったこと。これまでの仕事で身につけてきたこと。八丈島の気候や、島で長く育てられてきた植物。そして、そこで出会った人たち。
一つひとつは別々だった経験が、八丈島で重なり合い、バニラ栽培という新しい仕事へつながっていきました。
植物に導かれ、島へ。八丈島から始まる『東京産バニラ』
心を癒やすために育て始めたプルメリアをきっかけに、植物に導かれるように八丈島へ移住した松本さん。島の気候や設備屋としての経験、特産のロベも生かしながら、前例の少ない国産バニラの栽培に挑んでいます。試行錯誤の先に見据えるのは、バニラを八丈島の新たな産業へと育て、人や食、島の魅力をつないでいく未来です。
「自分らしい仕事」とは、最初から頭の中に完成形があって、それを地域で実現するものとは限りません。自分がこれまで持ってきたものと、その土地にすでにあるものが出会う。その「あいだ」から、自分一人では想像していなかった仕事が生まれることがあります。だとすれば、「わたしらしく」とは、変わらない自分でいることではないのかもしれません。人や土地との関係によって自分自身が変わっていくことにもひらかれ、その変化を受け取りながら、そのときの自分なりの暮らしや仕事を選び直していく。そんなあり方を、「わたしらしく」と呼ぶこともできるのではないでしょうか。
守るために、変わる
創業と事業承継。一見すると、「新しくつくること」と「昔からあるものを受け継ぐこと」という、反対の営みに見えます。けれど、セミナーで話を聞いていると、この二つは思っていたよりも近いところにあるように感じました。
魚谷さんが八丈島でチーズづくりを始めた背景には、島から牛乳がなくなりかけていたという出来事があります。セミナーのなかで語られた、
「牛乳工場を残したかったのではなく、牛乳のある島を残したかった。」
という言葉が強く残っています。
残したかったのは、建物や設備そのものではありません。島で牛が飼われ、牛乳がつくられ、それが暮らしのなかにあるという風景でした。だからこそ、形は以前と同じである必要はなかったのです。
「形は変えた。でも、存在する意味は変えなかった。」
魚谷さんが示したこの言葉は、「継ぐ」ということを少し違う角度から見せてくれます。

長田隆弘さんが受け継いできた「くさや」も同じです。
長く続いてきた製造技術を守るだけではなく、学校で子どもたちと学び、大学と微生物を研究し、別の産業ともつながっていく。その一つが、くさや液から分離した乳酸菌と八丈島産ジャージー牛乳から生まれた、飲むヨーグルト「くさヨ」です。
伝統と革新が交差する八丈島で生まれた、新しい一杯。『くさヨ』
伝統発酵食の水平線上に見つけた新しい一杯。くさや液から見つかった世界初の乳酸菌と八丈島ジャージー牛乳が出会い『くさヨ』が誕生。老舗・長田商店とエンケルとハレ、研究者・学生の共創で、島のソウルフードを次世代へ。受賞の裏側にある“仕組みづくり”に迫る。
くさやを、そのままの形で食べる人を増やすだけではありません。そこに蓄積されてきた文化や知恵を、別の入り口から未来へひらいていくのです。長田さんのスライドには、
「残していきたい物 食文化」
「変えていきたい物 固定観念」
という言葉がありました。残すことと、変えること。この二つは、必ずしも矛盾しません。むしろ、本当に残したいものが何なのかが見えてくれば、そのために形を変えることもできるのです。
創業も事業承継も、何もないところから始まるわけではありません。自然、文化、技術、産業、人との関係、記憶。その土地にすでにあるものを受け取り、いまの自分なりに意味を考え、必要なら形を変え、次へ渡していく。それを「地域を再編集する」と呼んでみてもいいのではないかと思います。
守るために、変わる。
島で仕事をつくることには、そんな側面もあります。
完成した「今」ではなく、「途中」を見る
長田さんは、最初からくさやが好きで家業を継いだわけではありません。魚谷さんも、最初から現在の事業の完成形を描いて八丈島へ来たわけではありません。フルタさんと島との関係も、あらかじめ計画されたものではありませんでした。東京都離島区でこれまで取材してきた人たちもそうです。
失敗したり、迷ったり、思っていた方向とは違う場所へ進んだりします。それでも、人に出会い、地域に関わり、試して、考え直しながら、それぞれの「今」がつくられています。そして、おそらくその「今」も完成ではありません。また人と出会い、環境が変わり、新しい問いが生まれれば、仕事も暮らしも変わっていくのだと思います。

地域で何かを始めるとき、最初から正しい答えを持っている必要はありません。自分の言葉で考えること。地域に耳を澄ますこと。変わることを恐れないこと。そして、問いながら小さく動いてみること。それくらいの「構え」があれば、まだ名前のついていない仕事や関係に出会えるのかもしれません。
島で何をするのか。
もちろん、それは大切な問いです。けれど、その前に。
私は、どんなふうに暮らし、働いていきたいのか。そして、その「わたし」が島の人や自然、文化と出会ったとき、自分自身が変わっていくことを受け入れられるでしょうか。
島との関係のなかで、仕事が変わる。暮らしが変わる。そして、「わたし」も変わっていく。
もしかすると、「わたしらしく」とは、変わらないことではなく、変わり続ける自分をその都度引き受けていくことなのかもしれません。島で何をするかの前に。そんな問いから、地域との関わり方を考えてみてもいいのではないでしょうか。


