三宅島の若手漁師が教えてくれた“笑顔”から紡ぐ島の可能性

 2022/03/02

全国的な人口の減少に伴い、一次産業従事者は年々減少しています。東京諸島でも例外なく、一次産業従事者は減少しています。その中でも、360度海に囲まれた離島では、『漁業』が島を支えてきた産業の1つであることは疑いようがない事実です。そこで改めてデータを調べてみると、東京諸島全体での海面漁業の就業者数は、2008年〜2018年の10年間で749名から597名まで減少(▲152名)していることがわかりました。

漁業の衰退が示すことは、人口の減少、税収の低下、食料自給率の低下、観光産業の活力衰退、飲食業の質低下、など幅広いです。また、漁業には多面的な地域への効果も存在しています。例えば、​​洪水・土砂崩壊・土壌流出の防止、地下水涵養、自然環境保全、農山漁村の景観保全、行楽・保養の場、国境・海域環境の監視、海難救助、地域社会・伝統文化の維持、体験学習・教育など多岐にわたります。

とは言え悲観的なことばかり言っていても現実は何も変わりません。今回はデータだけでは見えてこない、今後の島の漁業を繋ぐヒントとなりうる生き方をされている島民を、取材をさせていただきました。

三宅島には、漁業経験のない人も漁師を目指すことができる漁業研修制度があります。過去4名の方がこの研修を経て独立されています。今回お話を伺ったのは、短期研修を経て三宅島に移住し、長期研修を経て漁師として独立された中島竜希さん。若手漁師であるということだけに止まらず、中島さんの周りには業種を超えた仲間たちが集まってきています。中島さんが何故、地域の人々から愛されながらコミュニティーを拡げていくことができているのか。そこに、離島で豊かに暮らしていく上で大切な“何か”があるのでは、と思いお話を伺ってきました。

三宅島漁業協同組合WEBサイト

憧れの漁師を三宅島で

生まれも育ちも東京の中島さん。当時大学生だった中島さんは、海に囲まれ、身体を動かし、自らの力で生活の糧を得る漁師という仕事にひそかに魅力を感じていました。3年生の時、周りの学生が企業への就職活動を始める中、漁師への憧れから、何度となく漁師フェアに足を運び情報を集めていました。その中で三宅島の研修制度や支援制度を知り、自分に適した条件だと直感し、三宅島での短期研修に飛び込みました。その結果、無事長期研修に進むことができ、三宅島に移住。漁師になる道を歩み始めました。研修生としての3年間は親方である大洋丸の古谷優さんのもとで船員として経験を積みましたが、初めてのことばかりで苦労もたくさんあったそうです。

三宅島に移住して3年、ついに大竜丸の船長として独立。その傍らでは地域の消防団にも所属し、積極的に島内の人々と交流しながらコミュニティを拡げていきました。「人と関わったり繋げたりするのが好き」と話す中島さんは、自宅の一部をリノベーションし、業種を問わず地域の方々が集まれるような新たなコミュニティの場を作りはじめています。

★漁師フェア
フェア情報 | 漁師.jp:全国漁業就業者確保育成センター (ryoushi.jp)

島だからできた人との繋がり

東京から三宅島に移住した際に、良くも悪くも島民一人一人の関わりが濃く、様々な噂がすぐに広まることも経験したそうです。しかし、逆に人との強いつながりによって救われたことも数多くあり、「見てくれている人は見てくれているし、困った時は助けてくれる。」と中島さんは話しています。このように持ちつ持たれつ、協力し合える関係性こそが島の良さだと語ってくれました。

愛される由縁?海から離れると意外な一面も

100kgを超えるマグロを獲ってくる一方で、中島さんは乃木坂46の大ファンでもあるそうです。取材時も乃木坂46のメンバーの写真集を楽しそうに眺めている姿が印象的でした。マグロ漁に出る際も、ゲン担ぎのために乃木坂46のTシャツを着ているそうです。ギャップがたまらなく可愛いですね。

さらに、なんとこのパーカーは中島さんの自作!このパーカーの「STORMERS」という言葉の由来は、漁師は時化(しけ)の時には海へ出ることができないため、嵐の前夜に集まる(飲む?)仲間たちを意味しているとか。「明日は時化だ」が集合の合図。海が荒れる前夜には、島あるあるなワクワク感が醸し出される。中島さんが住む阿古地区の方々の間ではこのパーカーは密かに流行っているらしい…。このような、お茶目で気取らずギャグセンス抜群な性格が、地域に受け入れられ、人と人とを繋げられるポイントなのかもしれません。

中島さんの野望

そんな中島さんは、いずれ島民や観光客の交流が生まれるようなお店も経営していきたいと考えているそうです。実は島内には、島民が日常的に利用するようなお店はいくつかありますが、島で獲れた新鮮な魚などを提供できるお店は少ないそうです。

また、中島さんは、三宅島は人と人との繋がりが強い特徴があると思う一方で、業種を超えたコミュニティが広がる場が少ないと感じています。島に愛のある観光客のリピーターを増やしていくためにも、また、島内のコミュニティをもっと広げていくためにも、立場に関わらず島に入っていきやすい環境を作っていくことが大切だと言います。

一方で、漁師という職業はハードルが高く、敬遠されがち。加えて、三宅島という慣れない環境もあって、中島さんの次の世代がなかなか育っていないそうです。中島さん自身は先輩たちから受け入れられ、良くしてもらったことを後輩たちにも受け継いでいき、どんどん還元していきたいと考えていますが、今はそれがあまりできずもどかしい思いをされています。

「漁師という仕事にはたくさんの魅力ややりがいがあることをより多くの人に知ってもらいたい」と漁での体験を振り返りながら目を輝かせて話します。そしてこれからは、新しく三宅島に移住する人たちも三宅島の輪の中に入っていけるようなコミュニティとなる場を作ることによって、日頃の悩みや世間話を気軽に共有できるようにしていきたいと語ってくれました。

中島さんが守り繋いでいきたいモノ

社会の動きが大きく変動し、淘汰されていくモノが出てきてしまう中でも、中島さんはこれからも「漁師とそれをとりまく環境」を守り続けていきたいと語ってくれました。現状、50〜70代の漁師が中心の三宅島。あと20年もすれば漁師の半数が引退してしまうという現状で、中島さんは20代でありながら若手を育成しなければいけないという立場にあります。

「島の外から漁師を志して移住できる環境を今まで以上に充実させると同時に、島で育った若者たちが三宅島に戻ってくる際の選択肢の1つとして『漁師』という生き方があるということを伝えていきたい」と熱く語ってくださいました。

たいへんな苦労話も全てネタやギャグに変えてしまう中島さん。地方創生が叫ばれ、多額の予算が動いている社会の中で、『笑顔』は0円。まず自分たちが笑顔でいられる環境を作る。そして、周りに笑顔の人を増やしていく。そんな見過ごしがちだけど大切なことを思い出させてくれる中島さんの存在は、島の大切な資産です。

(取材・執筆:澤田逸生、髙橋歩来、山﨑蒼依)
(撮影・編集:いと〜まん)

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