中嶋農園が描く「仕事の美学」

 2023/07/31

植物という予定不調和な相手を日々注意深く見つめながら、探究心と挑戦する心を持ち合わせて、最良のプランを導き出し行動に移していく。農業の世界から美しい仕事を築き上げていくことの大切さ、尊さを伝えてくれる中嶋農園。そこには「仕事の美学」とも言える世界が広がっていました。

中嶋仁司(ひとし)さんは現在82歳(2023年7月現在)、現役の農家さんです。主軸はお正月用の花材として用いられ、大島は戦前から産地として知られる千両です。中嶋さんの特徴は経営感覚をしっかり持って農業に取り組まれていること。農園を訪ねると雑草もなく、とにかく「綺麗」の一言。道具もどこに何があるのか一目瞭然。農園を訪れてすぐに中嶋さんの農業に対する姿勢や仕事に対するこだわりが伺えました。

中嶋さんの両親は東京の出身。東京を拠点に何代も続いてきた一家です。ところが、昭和11年に父親の意思で全てを引き払い、大島へと渡ってきました。大島に渡った理由は園芸をやるため。暖地園芸をやりたいとの思いで大島への移住を決意されたそうです。そんな矢先に太平洋戦争が勃発。戦時中は花卉園芸は許されず、戦地に出兵しない代わりに兵士が食べる食料を生産するよう命じられました。そんな状況の中、中嶋さんは昭和16年に誕生します。

戦時中は大島でもアメリカ軍の戦闘機が襲来し、中嶋さん自身も機銃掃射に遭うこともあったそうです。それはそれは恐怖だったと、当時の状況を語ってくれました。

「親父はよく、平和でなければ花なんて見る気にならない。平和を求めるために園芸をやるんだ。とお酒を飲みながらよく語っていました。」

中嶋さんは3男坊の末っ子。自分が何に向いているのかあまり考えないで過ごしてきました。当時は家庭が貧しかったこともあり、高校に行くことが難しかったが、高校は出た方が良いと、当時の先生に定時制を勧められ進学しました。その後も何となく過ごしていたが、父親が戦時中、平和のために園芸をやるんだと日々語っていたことや、何代も続いた東京での生活を全て引き払って大島にわざわざ花卉園芸をやるために渡ってきたことが心の片隅にずっと残っていたこともあって、20歳ぐらいのときから少しずつ農業を始められたそうです。

「少しずつ、親父の背中を追う気持ちが芽生えていきました。」

そんな矢先に妻、啓子さんと出会い、結婚。これはいよいよしっかりしないとダメだな。ということで本腰を入れようと決意を新たにしたときに、今では名実共に大島の農産物を代表する品目であるブバルディアと出会いました。このブバルディア栽培がうまくいき、以後30年近くブバルディアを主軸に続けてこられました。ところが、腎臓を悪くしてブバルディアの栽培を続けることが困難な状況となり、次第に現在の主軸である千両栽培へと切り替えていかれたそうです。

「当時島には透析の施設がなくて、先生からもうこの商売はできないから覚悟したほうがいい。大島にも住めなくなりますよ。と言われました。頭が真っ白になりましたが、島に透析施設ができるまで何とか持ち堪えることができたんです。」

島に透析施設ができてからは週3回、月・水・金と透析を受ける生活に。透析を行う日は午前中に仕事をして、午後に透析をする。そんな生活を送っていたそうです。

その後、生体腎移植により奥さんから腎臓を譲り受け、元気になった中嶋さん。感謝してもしきれない妻への思いと、千両の生産を本気になってやろうという想いがより一層強くなったそうです。

「楽しさ」と「厳しさ」表裏一体の世界

中嶋さんは農業という仕事について、次のように語ってくれました。

「農業は、常に目を配り、自ら変化や異常に気づいて的確に対処していく必要がある仕事です。農業をやりたい、花をつくりたいと思う人はたくさんいるけれども、現実的な視点で見てみると、この仕事を通じて生活を成り立たせなければならないし、子供が生まれたらしっかり育てていかなければならない。どんな仕事も同じだと思いますが、楽しさの反面、厳しさもある。少なくとも楽しい面と厳しい面をきちんと分けて取り組んでいかなければいけません。」

「花卉という商品を作るために、言い換えれば、市場価値のあるものを継続的に生産・提供し続けるためにはどれほどの努力をしなければならないか、そういった部分は影に隠れて見えてきません。そういった部分に対してもイメージを働かせて、概略を掴める人ならいいが、実際にはなかなか難しいことだと思っています。でもそこを超えていかないとこの商売は難しい。探究心がないとできない仕事。ただ何となくいいなぁと、田舎でのんびり暮らしながら農業をしたい、という思いだけで入ってきてしまう人が多いように感じています。もちろん、最初はそのような入り方でも良いと思いますが、入ってきてやり始めた以上は真剣に考えて、経済的にどうなんだろう?、経営的に成り立つのだろうか?と、もっとイメージを働かせて、ただ単に花が綺麗だとか、好きという気持ちだけでは難しい世界だと思います。」

農業に取り組むからにはしっかり成功して欲しい。大先輩からの厳しい言葉の裏には本気で考えてくれる優しさや誠実さが伺えます。

探究の積み重ねが農園に反映される

ー 畑と作業場を拝見させて頂きましたが、本当に無駄がなくて、綺麗で整然としていて非常に感心しましたし、農業に対する探究心をひしひしと感じました。中嶋さん自身は元々工夫することや探究することが好きなタイプでしたか?

「本来は好きなタイプだと思うけれども、本気になって取り組み始めたのは割と最近のような気がします。」

「何となく(効率化や品質の向上にとって、工夫や探究が大切であることに)気がついてはいたのですが、それがわかってきて実践しているのはむしろこの歳になってからなんです。それだけ時間がかかるものなのでしょう。なので、もっと若くしてそれを見抜いていくべき、というのが今の私の考えです。一つ一つの仕事を十分理解して、それぞれの仕事を大事にして欲しい、そんな姿勢を持って取り組める若い農家さんが増えていって欲しいと思いますね。」

ー 先ほど農業に対する心構えのお話が出ましたが、島で農業をやりたいという方に向けて、農業の難しさを教えてください。

「難しいことは何もないです。誰でもできますよ。ただ一つ、考えているかどうか。人より一歩でも二歩でも三歩でも、先を見て考えているかどうか。いつも自分が今日何をやるのかをちゃんと計画的に考えて行動しなければいけないと思うのです。それが出来ていればそんなに難しいことではないです。そんな姿勢を持ち続けているうちに自然と3年後、5年後のことも考えられるようになるのです。つまり、短期目線ではなく、長期目線がとても大切です。」

「例えば、将棋の世界がそうですよね。プロは何手も先を読んでいるわけで、そんなプロとしての読みのようなものがどの仕事でも必要なのではないかと思います。しっかり読めればある程度まではいける。まるで読めないで、ただついていくだけではダメなわけで、いかに早く気づいて自分の力で読んでいけるか。」

「楽をする」すなわち、効率を図りコストを抑える

「農業経営を行っていく上でもっとも大切なことは、どうしたら一番楽にできて、最良の形の仕事ができるかを考えて行動すること。そのために仕事をしているといっても過言ではないです。」

「これまでの経験を通じて無駄なことは一切やらないという姿勢でやってきました。そんな私のスタイルをどうやって伝えたらみんなに理解してもらえるか、なかなか難しくてまだ答えは見つからないです。夢を追っている人に対して現実的なお話をしても良いものか悩んでしまう。だけど、夢も大事だけど現実から目を逸らさない姿勢も本当に大切なんです。」

中嶋さんの農業をそばで手伝っている1人である堀井秀弥さん。堀井さんは中嶋さんの娘さんの旦那さんで、元々は京浜東北線の運転士として長らく勤務されていましたが、定年退職とともに妻の実家である大島に移住し、中嶋さんの農家を手伝い始めました。鉄道の運転士から農業へと、全く異なる世界への転身ではありましたが、堀井さんの実家が米農家だったこともあり、多少の心得はあったそうです。しかしながら、中嶋さんの行っている作業には「?」なことも。

(堀井さん)「なんでこんなことしてるんだろうって、疑問に思っていたことが後になって、あぁ、こういうことなのね!って繋がってくる笑。実際の体験や経験の中で覚えていくしかないかなと思っています。人間って、言われるだけではなかなか気づかないんですよね。」

ーなるほど、最小限の労力で最大限の成果を出す。レバレッジを効かせるという視点は経営においてとても大切な視点ですよね。ちなみに、これまで農業をやってきて壁にぶち当たったことはありますか?

「やっぱり病気になったことですかね。本当に頭が真っ白になりました。病院の先生に透析になる確率が高いと言われた時に、もうダメかなと思う気持ちが強かったです。でも、実際に透析を経験していく中で、少しずつその生活に馴染んでくると、できる範囲で以前のように頑張ったりして前向きになれたんです。意外と底抜けに明るいところがあるのかもしれません。振り返るとどんな場面でも前向きに乗り越えてきたなぁと思います。何より一番感謝しなければならないのは妻です。妻が教員をしていたので、何かあっても何とか生活していけるなという気持ちがいい意味で挑戦する姿勢を後押ししてくれていたなと。さらには腎臓まで頂いて、本当に感謝しています。」

「一つ一つ体験して乗り越えてきた今となってはどれも良い思い出になっているし、悪く思ったことは一つもないです。何より自分を見失うことがなかったのが大きいですね。」

中嶋さんの側で常にサポートしてきた妻、啓子さん。啓子さんは元々学校で家庭科の先生をしながら中嶋さんの農業を手伝ってきました。中嶋さんの今があるのも妻である啓子さんの存在が大きい。取材中も中嶋さんの隣に座って静かに状況を見守りながら、所々で補足説明をしてくれるので、私たちもとてもスムーズに取材を行うことができました。啓子さんは中嶋さんにとってかけがえのないパートナーなのです。

ー 最後に、今後農業を営む方々にメッセージをいただけますか?

「私は経営というものをとても大切にしています。経営感覚を磨くことで、無駄な動きが削ぎ落とされて、一つ一つの動きが綺麗に繋がっていくのです。無駄のない動きが出来てきたなぁと実感できると仕事が楽しくなってくる。何より一国一城の主人でやれるわけで、大変さはもちろんありますが、試行錯誤しながら次第に理想に近づいていく過程を味わえるのは大きな醍醐味ですよね。」

「青年期から壮年期へと歳を重ねつつ、ときに島内外の農業を見ながら自分のスタイルを描き築いていく。そんなプロセスを辿りながら自身の技術を磨き、研ぎ澄ましていく。その先に利益が上がったり、経営規模が拡大していくわけで、本当に面白いと思います。」

「最後に、私が若い農家さんにお話をするときは、畑のレイアウトがすごく大切であると話しています。畑をどう自分のものにしていくか、効率化はもちろん、ここを管理道路にして、ここに防風林を植えてといった感じで、具体的なイメージを働かせてシミュレーションしていくことが大切です。あとは、何よりも同志の仲間を持ち、繋がりを大切にしていって欲しい。お互いの仕事を見合って、どうしたらもっと良くなるか、熱く語り合える仲間の存在は大きい。ぜひ仲間を見つけて切磋琢磨して欲しいです。」

ー ありがとうございました。

中嶋さんとのお話はまだまだ尽きません。

中嶋さんは農業が本当に大好きなんだなとお話を伺いながら思いました。また同時に仕事の厳しさはもちろん、仕事が持つ楽しさや醍醐味を教えて頂きました。どんな分野にも通じる中嶋さんのお話、如何でしたか?

あらためて自分の仕事に対する姿勢について考えてみたくなる良い機会になりました。

インタビュアー 山下 優
取材協力 一般社団法人ぶらっとハウス

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