シマクラスが取り組む、地域の中に「ひらく・つむぐ・おこる」場をつくることで生まれるNEW COMMONS
都心から約180km離れた神津島で、4月28日から「アートサイト神津島2024 山、動く、海、彷徨う」が開催されます。
アーティストが身体表現や演奏などを行うツアー・パフォーマンスを展開。神津島の海から山が続く雄大な景観の中で、感覚をどのように研ぎ澄ますことができるのでしょうか。
アートサイト神津島2024は、これまで7年間続いてきたアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」の新たな出発地点。このイベントの企画者である一般社団法人シマクラス神津島 理事の飯島知代さんに、神津島でのアートプロジェクトのこれまでについて伺いました。
「神津島に来る前はバックパッカーとして旅をしていました。そんな中、旅先のカンボジアで出会った人が神津島で海の家を始めるというので、興味本位に手伝いに行こうと神津島を訪れたのがそもそものきっかけでした。
当時は夏は観光シーズンで、島全体が忙しく、人手が必要なところが多いため、海の家のスタッフは他のバイトを掛け持ちしながら運営している状況でした。私はクラフトビールの製造やパブを経営しているHyuga Breweryでバイトをしていました。
最初の夏が終わり、一度島を離れましたが、次の夏も来て欲しいということで再び神津島に戻ることになりました。その後、紆余曲折あり海の家が閉店。これからどうしようかなと思った時にHyuga Breweryからこのまま働いて欲しいと言っていただき、気づけば神津島に住み始めて8年目を迎えます。」
Hyuga Breweryで働き始めた頃、東京アートポイント計画*HAPPY TURN/神津島の事務局で人材を募集していた代表の中村さんから声がかかります。
*東京アートポイント計画とは、東京都・アーツカウンシル東京・NPOとの共催で行われる、社会に対して新たな価値観や創造的な活動を生み出すための拠点づくり事業です。
「3年ぐらいのプロジェクトだと聞いたので、やってみるかとゆるっとアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」に参画しました。気づけば6年が経っており、その間はHyuga BreweryのアルバイトとHAPPY TURN/神津島の事務局両方を回しながら暮らしていました。」
当初、事務局の中ではアートがテーマということもありアートポイントの事業自体の輪郭がぼんやりとしていたため、事業の趣旨が上手く伝わらず離れてしまうメンバーもいたといいます。
「最初はもともと関わっていた人たちからの話だけ聞いていたので、東京アートポイント計画の運営主体であるアーツカウンシル東京の人たちを、外から来たまちづくりコンサルのような人たちなのかと思っていました。でも話をきいたり、その時来ていた岩沢兄弟というクリエイティブユニットの人たちが村をリサーチする様子がおもしかったので、とりあえずやってみようという気持ちになりました。活動していく中で、アーツカウンシルの人と島でプロジェクトを運営する間を繋ぐことに自分の役割があるのではないかと思いました。
神津島でのアートポイント事業「HAPPY TURN/神津島」は、2023年度までの7年間にわたって取り組まれた事業です。最初の目標は空き家を活用した拠点づくり。その場所は後に「くると」と名付けられました。
撮影:小野悠介
「アートポイントの目的の中には、プロセスこそ重要という考え方があります。専門の業者に頼めばすぐ終わることを、すごい時間をかけてみんなで地道にやってきます。最初はよく分かってなかったので、その振る舞い方を理解するのに苦労しました。作業があるから人が集まれるとか、開くことで声をかけてもらえるなど、コミュニティを育むことにアートプロジェクトの良さや魅力があることが続けることで理解できました。」
明確なゴールもなく、3年もの間「くると」の改修を続けてきた中で、地域の人への説明がとても大変だったと振り返ります。そんな苦労の中で少しでも私たちの取り組みを知ってもらう機会をつくろうと、月に1回「くるとのおしらせ」を制作し全戸配布を始めました。
「最初は拠点である「くると」を事務局のメンバーだけで開いていましたが、今では週に3日程度、お母さんたちにも入ってもらっています。
その運営体制も、視察で訪れた北千住の仲町の家の仕組みを参考にし、神津島に合った形で運用しています。実は神津島では少し前まで3歳になるまで保育園に入れなかったんです。だから、子供と一緒に出勤してもいいし、お昼寝の場所もありますよ、と家庭の状況に合わせて働き方を柔軟にすることで、お母さんたちにも常駐してもらえるようになりました。」
プログラムを始めた当初、島民からなかなか理解してもらえない中、進んで手伝いにきてくれたのは、教員をしている旦那さんの転勤で島に来たお母さんたちだったと言います。放課後に開かれたくるとは、子供の遊び場になり、島民の風向きも変わってきたそうです。
そして2021年度からはアーティストを招き、さまざまなプログラムを行う、アーティスト・プログラムを本格的にスタートさせました。ダンサーの大西健太郎さんや、染色を中心に表現活動を行う美術家の山本愛子さん、アーティスト集団「オル太」や、ミュージシャンの「テニスコーツ」や「馬喰町バンド」と一緒に様々なプログラムを行ってきました。アーティストとの時間は、日常の神津島をさまざまな角度から再発見させてくれる豊かな時間だったそうです。
そして、アートポイント事業は2023年で終了しました。
くるとや、フリースペースRoom SAKUなど、様々な事業を展開するシマクラスの今後はどうなるのでしょうか。
「アーツカウンシル東京との共催が完了し、今後は自立して事業を運営していかなければなりません。厳しい予算の中で、ボランティアでも続けたいと言ってくれるスタッフもいます。共感してくれる仲間の存在は大きいです。何より、アートだから挑戦できる領域があったり、救えるものがありそうなことに気づきました。
私も移住者なのでよくわかるのですが、移住者でも子供でも、立場に関係なく気軽に訪ねていける、開かれている場所があるっていうのは、大きいことなんですよね。ないよりも、あったほうが少し豊かに暮らせるというか。だからこそ、不安定な状態で手放すわけにはいかない。いろんな人の居場所になっているうちは、続けようかなと思っています。」
2024年から新しいスタートを切ったシマクラスが手がけるアートサイト神津島2024には、どんな仕掛けが待っているのでしょうか。
「くるとを日常的に開けるのはもちろん大事ですが、今までやってきたアーティスト・プログラムのように、アーティストを呼んで多様な表現を感じられる特別な日も引き続き作っていきたいと思っていました。そんな時、2022年のアーティストプログラムで来てもらったアーティスト集団|オル太に今回また神津島で何かできないかと相談をもらいました。アートポイントの事業が終わるので、今後アーティスト・プログラムができるまでにもう少し準備の時間がかかるかな…と思っていた時に話が来たので、これはやろうと決めました。
2022 オル太 漂白と遍歴|撮影 縣健司
この企画は、アーティストが神津島の自然と出会うことで何が起こるのか、そんな化学反応にも似た現象を楽しむイベントになっています。その場で感じたことをパフォーマンスにするアーティストもいれば、事前にリサーチを重ねてパフォーマンスするアーティストもいたりと、表現方法はアーティストに委ねられています。その表現と雄大で豊かな神津島のコラボレーションを島外から来る人にも、島の人にも是非楽しんで欲しいです。」
音楽、パフォーマンス、映像…
神津島の全域を使って行われるアートサイトは、島が生きていることを感じさせてくれる時間になるのではないでしょうか。
アートサイト神津島2024 山、動く、海、彷徨う東京の離島、神津島での芸術現象(アート・フェノメノン)!
アーティスト集団「オル太」主催、都市のサイクルとは異なる離島を巡るアートプログラム。 広大な景観が広がる神津島でアーティストによる身体表現や演奏のツアー・パフォーマンスを展開する。 「自然の脅威と雄大さ」を意識し、都会から離れ、私たちの身体を芸術とともに研ぎ澄まそうと試みる。
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