越境することで見えてくる新たな地平
東京諸島の各島には大学がなく、高校も1校のところがほとんどで、多くても2校、高校がない島もあります。そのため基本的に中学卒業もしくは高校卒業と同時に島を離れ、新たな地で生活を送るのが主流です。また、卒業後は故郷には戻らずそのまま島の外で社会人としての一歩を踏み出すので、島に戻ってくるケースはほとんどありません。一方で、離島における高齢化率は年々増加し、生産年齢人口は減少する一方です。つまり、地域としての存続が危ぶまれる状況に確実に向かっているのが東京諸島の実情といえます。そんな状況の中で、これからを担う年少世代に対する教育を考えることはとても重要だといえます。
さて、「シビックプライド」という言葉があります。この言葉の意味は「郷土愛」だったり「まち自慢」といった意味合いで語られることが多いのですが、その根底には「自分が関わることで地域がより良くなっていくという自負心」が流れています。地域における教育を考えた際にこの“当事者意識に基づく自負心”をしっかり育てていくことが、将来子どもたちが故郷である島に戻ってきたり、何らかの関わりを持つ契機になるのではないか。実際、シビックプライドが高い地域ほど、Uターン率が高いというデータもあるそうです。
地域の未来を考えたときに「シビックプライド」の醸成は一つの重要なキーワードになりそうです。というわけで、今回は昨年の春に高校を卒業した一人の青年を取り巻く動きについてご紹介します。
地域の未来を支えていくのは言うまでもなくこれからを担う世代である子どもたちです。そんな子どもたちの成長について本当に大切なことや必要なことを考えながら、未来に向かって思いっきり力を発揮できる舞台づくりに取り組む「てらす-TERRACE-」というプロジェクトがあります。
これまで「てらす」では、多様性や探究的学びの観点から教育をテーマにした映画上映とワークショップを組み合わせたイベントや、空き家を活用して新たな事業に取り組むIターン・Uターンの若手事業者をゲストにワークショップを行う異業種交流サロン、そして、本のぶつぶつ交換を中心に本について語り合う会などなど、多種多様なイベントを開催してきました。
私も少しばかり「てらす」の取り組みのお手伝いをさせて頂いているのですが、今回はそんな「てらす」の取り組みの中から一人の青年にスポットをあてた「ココロウトーーク」という名のイベントについてご紹介します。
その前に、「てらす」の代表を務める小林祐介さんからの一言を。
『てらすは当初、「教育について考えよう」という趣旨のイベントのようなものが多かったと思っています。それが、イベントでさまざまな人と交流し、対話を重ねていくうちに、この大島にワクワクしている人、なんだかモヤモヤしている人がいることに気付いていきました。それならば、その単発のイベントで終わらないように、何か人と人とが出会ったり繋がったりすることで、その人の視野が広がったり、ワクワクがさらにワクワクしたり、モヤモヤがワクワクに変わったりしていけたらいいなと思うようになりました。』
『今では、子供が中心になってプロジェクトを立ち上げる応援をしたり、今回のような、高校を卒業し海外に飛び出した青年が、大島の中学生に語るオンラインイベントなどをするようになってきました。これからも、大島の子供たちにとって何が必要かを考え、自分たち大人も一緒になっておもしろいことをつくっていく楽しさを追究していきたいと思っています。』
1人の青年が伝える大切なこと
これまでもシリーズとして何度か開催してきた「ココロウトーーク」ですが、今回はオンライン形式にて行いました。「ココロウトーーク」は、2021年3月に都立大島高校を卒業し、その年の9月より語学留学のために南太平洋の島国、フィジーに渡った19歳の青年、小島心朗(こころう)くんが主役のトークイベントです。イベントの主な参加者は島内在住の10代が中心で、みんなよりちょっと先輩の心朗くんが学生生活やその頃に考えていたこと、海外に渡った現在の留学生活のこと、そして将来の夢や展望といった、自身の経験や想いを直接参加者に伝えていくことで、普段の生活の中で大切にしてほしいことや心構え、そして夢や希望を持つことの素晴らしさ等々、前向きな想いを等身大で伝えていきます
今回はフィジーに渡って半年が過ぎ、海外生活にも慣れてきたところで、インターネットツールを活用してフィジーと大島を繋いでコミュニケーションをとりました。心朗くんから近況や現在の心境について報告してもらいながら、参加者からのさまざまな質問に応えたり、ホームステイ先の方々ともお話を交えながらフィジーの暮らしや文化、生活スタイルなどについて知ったり、さらには外国の方とのコミュニケーションも体験できる有意義なひとときとなりました。
想いを共有することで広がる可能性
さて、そんな心朗君ですが、プロサッカープレイヤーの本田選手への憧れがきっかけで小学生の頃からプロサッカークラブでプレーをしたいという夢を持っていました。しかしながら、プレイヤーは一部の選ばれた者しか掴むことのできない狭き門であることを知ります。道半ばにして厳しい現実を知り他の道を目指そうと一度は気持ちを切り替えますが、その後もサッカーの試合を見る度にやはりプロサッカーの世界と関わりのある仕事に就きたいという想いは捨てきれず、むしろ強くなっていきました。そんな中で偶然「ホペイロ」という仕事の存在を知ります。「ホペイロ」はプロサッカー選手の用具や身の回りのものを管理・ケア・準備する仕事で、ポルトガル語で「用具係」を意味する言葉です。「ホペイロ」になればプロサッカーの世界に関わることができる。心朗君は「ホペイロ」の道へと進む新たな目標を立てました。中学3年生の頃のことです。
そして高校生の頃、志願制で参加できるインターンシップ制度を利用してプロサッカークラブでホペイロとしての職業体験ができないか、高校の先生と相談や検討を重ねながら、サッカークラブの関係者に何度もアプローチした結果、日本を代表するサッカーリーグで職業体験をする貴重な機会を得ることができました。実際にホペイロとして活躍されている方からお話を伺ったり職業体験できたことはもちろん、プロサッカークラブとのコネクションがつくれたことが大きかったと当時を振り返ります。さらに先生が自分のために尽力してくださり、粘り強く対応してくれたことも感謝しきれない嬉しい思い出なのだそう。想いや願いを素直に伝えて共有することで、サポートしてくれる仲間が必ず現れるし、1人では不可能なこともきっと可能になる。そんなことを学びました。
現実から目を逸らさずに自らを拡張する
やがて、インターンシップを無事にこなし、ホペイロへの道を目指し就職活動を行う中で、某有名プロサッカーリーグの就職面接を受けた時のことでした。新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう中、サッカー界も他の業界と同様に厳しい経営状況に陥っており、選手を確保していくだけでも大変な中でホペイロ要員として雇用を継続していくのは難しいと伝えられました。
そこで、心朗くんは考えました。高校生の頃にインドネシアへ海外留学をした経験からホペイロ兼通訳として自身のスペックを高めていくことで、より必要とされる人材になろうとあらたな決意を固めます。
心朗くんは高校生の頃に交換留学にも参加していました。東京都とインドネシアのジャカルタ特別市が姉妹友好都市であり、当時、姉妹友好都市締結30周年を記念して交換留学が行われました。その制度に参加することで、初めて海外に渡る経験をします。
留学先のインドネシアでは貧富の差を目の当たりにします。裕福な暮らしを送っている家庭にホームステイ先としてお世話になる一方で、スラム街では強烈な匂いとともに厳しい生活を強いられている人たちの姿を目にします。そんな光景を目の当たりにして、自分にできることはないのかと考えるようになったそうです。それからはボランティア団体を探してアプローチしてみたり、募金活動に参加するなど、実際に行動に移していく機会も増えてきていて、ライフワークとも言える活動の一つになっています。
そんな高校での経験を経てフィジーへ語学留学に進むことを決意した心朗くん、留学先としてフィジーを選んだのもフィジーがいわゆる発展途上国であり、且つ英語が学べる環境にあったことが大きいそうです。現地で英語を学びながらボランティア等支援活動への参加を通じてより深く世の中の現状や課題を知ることで、今よりもさらに自分ができること、やるべきことを見つけることができるかもしれない、そんな想いからフィジーという国を選んだそうです。
昨年9月にフィジーに向かう際には「てらす」でのイベント等を通じて使っていない文房具をはじめとした生活消耗品の提供を呼びかけ、集まった物品をフィジーの孤児院に届ける活動を行いました。
フィジーに渡り半年が過ぎた今、当初はレベル2だった語学レベルもつい最近レベル5にアップ、卒業までに何としても最高レベルの7を目指したいのだとか。
そして、最近ある企業のインターンシップも始めました。インターンシップを通じてSDGsの観点からフィジーの社会課題解決や社会貢献に向けた取り組みについて取材をして発信しているそうです。活動を通じて企業の社長や要人と話す場面も増えてきていて、様々なタイプの英語を使う機会も出来ているのだとか。好奇心旺盛な彼の取り組みがどんどん広がっているのが伺えました。
越境が成長を促進させる
というわけで、今回のイベントを通じて、約半年ぶりに彼の様子を拝見しました。
とても元気そうで、生き生きと暮らしている様子が画面越しでもよく伝わってきました。
「恥ずかしがっていたら何もはじまらないと思った。何をはじめるにも0から1にすることは難しい。その段階でいかにもがけるかが大切。」
そんな彼の言葉のとおり、恥ずかしがらずに自分の夢や目標を素直に伝え、多くの協力者を得ながら夢に向かってもがきながらも進んできた心朗くん。そんな彼の言葉や姿勢から思ったことは、まさに「越境体験」をしているんだなということ。
マズローの欲求5段階説とはちょっと意味合いが違うけれども、人はどうしても安心・安全な慣れ親しんだ場所にとどまりたい、という欲求が先行してしまいがち。だけど、それでは大きな成長は見込めないのですよね。見知らぬ地やすぐには慣れない環境に越境=冒険することで人はさらに上の段階へと進むことができる。そんなことを実際の経験から感じ取っている心朗くんの今後に注目しているし、応援したいと思いました。そして何より同郷の後輩たちにそのことを伝えたいという姿勢を見せてくれたことはとても頼もしいことだし、地域の未来は人が変えていくことにあらためて気づかせてくれたよき機会となりました。
心朗くんのようにほとんどの島の子どもたちが一度は故郷を離れる運命にあり、必然的に越境体験を強いられることになります。見知らぬ地でさまざまな冒険を経験した若者がやがてシビックプライドを胸に故郷へと戻ってくる。そんな状況がたくさん生まれる地域の姿を想像しながら、今から取り組めることを考えていきたいと思います。
Let's Share
この記事をシェアするRelated articles
関連記事シマクラスが取り組む、地域の中に「ひらく・つむぐ・おこる」場をつくることで生まれるNEW COMMONS
アートサイト神津島2024は、これまで7年間続いてきたアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」の新たな出発地点。このイベントの企画者である一般社団法人・・・
2024/04/24
近くて遠い島で今と未来を『生きる』
株式会社TOSHIMAは人口300人の小さな島「利島」で、定期船や貨物船の入港から荷捌きまでの業務を一貫して行っている平均年齢30歳弱、9割以上がIターン移住者・・・
2022/04/24