引越し会社がない式根島で生まれた『ともにやる』引越しのかたち

 2026/04/13

東京から船で約2時間半。式根島は人口500人弱の小さな島です。
毎年3月から4月にかけて、この島にも“引越しの季節”が訪れます。

しかしこの島では、物流事業者の高齢化により、大きな荷物を運べる引越し会社が長年不在の状態でした。特に学校の先生たちは、忙しい年度末のなかで自分たちで引越しを行わざるを得ず、別れを惜しむ時間をほとんどとれないまま、慌ただしく島を離れていく、そんな状況が続いていました。

そうした課題に向き合う中で生まれたのが、離島の引越しを専門に手がけるアイランデクス株式会社による、新しい引越しの仕組みでした。

今回、この取り組みを立ち上げたアイランデクス代表の池田さんと、島で引越しを担うHANDYMANの前田さんに話を伺いました。

「ともにやる」という新しい引越しの形は、どのように生まれたのか。
式根島から始まった取り組みの、3年間の歩みをたどります。

関係性からはじまる仕事

池田さんが式根島と出会ったきっかけは、東京都の事業『TOKYO ISLANDHOOD with STARTUPS』(※1)でした。大島・利島・新島・式根島・神津島を訪れ、まずは島を知ることから始めたといいます。

(※1 )​​東京の島々を舞台に、魅力向上や地域課題の解決に向け、スタートアップや個人事業主等による島しょエリアでのビジネス展開を支援するプログラム。

—— 池田さんが式根島と出会ったきっかけを教えてください。

池田さん:「私たちは離島の引越しを専門にしていますが、最初からサービスを押し付けるつもりはありませんでした。まずは、本当に困っている人がどれだけいるのかを知りたくて、実際に島を回り、毎晩お酒を飲みながら話をして、島の人と関係性を築いていきました。」

どの島でも、ビジネスの話は後回し。まずはその島を知り、自分たちがその島を好きになれるか、そして相手にも受け入れてもらえるかを確かめることを大切にしていたといいます。

池田さん:「どの島でも、ビジネスの手前に、まずは島を知り、好きになれるか、受け入れてもらえるか。そこからすべてが始まると考えていました。」

その中で、ひとつの転機となったのが式根島でした。
現地でヒアリングを重ねるなかで、池田さんは島内の中学校の校長先生と出会います。

池田さん:「校長先生が危惧されていたのは、引越しの負担が大きすぎて、先生たちが別れの時間を十分に持てなくなっていることでした。本来なら、ここで過ごした思い出を噛み締める時間があるはずなのに、それが失われていると。

その校長先生は、他の島でも校長を歴任されてきた方で、島の課題にとても精通されていました。だからこそ、あそこまで強い想いを持っていたのだと思いますし、あの熱量がなければ、ここまでの関係は生まれなかったと思います。」

「ともにやる」を掲げた、離島引越しサポーターズの誕生

—— 「離島引越しサポーターズ」という仕組みは、どのように生まれたのでしょうか。

池田さん:「長野で古材と古道具を扱うリビルディングセンタージャパンさんに伺ったのがきっかけでした。彼らは、解体される建物から古材や古道具を回収する活動に、外部の人が関われるサポーターという仕組み を運用しているんですが、仲間が集まって何かをつくる過程って、やっぱり楽しいんですよね。引越しも本来そういうものだと思って。」

その発想をヒントに生まれたのが、「式根島引越し便サポーターズ」という仕組みでした。

「離島引越しサポーターズ」とは、引っ越す本人・島の人・外からのサポーターが「ともに行う」引越しの仕組みです。
サポーターはあくまで“手伝う人”であり、引っ越す本人も含めて一緒に作業を行うことが前提です。運送は港湾事業者が担い、サポーターは搬出入を支える。それぞれが役割を分けながら、引越しそのものを全員でつくっていきます。

この仕組みは、引越しの負担を軽減するだけでなく、海運会社の「コンテナ滞留時間」を削減することにも繋がりました。

池田さん:「これまでの引越しは、主に引越しをされる方がほぼ一人で進めるケースが多く、どうしても時間がかかっていました。その結果、コンテナは長く島に留まり、物流全体にも負荷がかかっていました。

今回、引越しのやり方そのものを見直し、短期間に集中的に行う仕組みに変えていきました。
その結果、平均で30日以上発生していたコンテナの滞留を、5〜7日程度にまで短縮することができました。コンテナの回転率も約4.2倍に改善しています。

関係する事業者にとっても意味のある取り組みへと変わっていったと思います。」

転機となった出会い

「離島引越しサポーターズ」という仕組みを立ち上げる上で、欠かせなかったのが、式根島で便利屋「HANDYMAN」を営む前田さんでした。

—— お二人の出会いを教えてください。

池田さん:「複数の島の方からご紹介をいただいて、前田さんにお会いすることができました。一緒にお酒を飲みながら話す中で、仕事での価値観というより、その手前にある『生き方としての価値観』が一致しているなと感じていきました。」

一方で、前田さん自身は、最初から取り組みのすべてを理解していたわけではなかったといいます。

前田さん:「最初は正直、アイランデクスさんが掲げる、『ともにやる』というスタイルは初めて聞く内容で、理解するのに時間がかかりました。

ただ、島の今までのやり方なら人を集められるかもしれないと思って。深く考えたというよりは、『できそうかな』くらいの感覚で受けたのが始まりでしたね。」

東京の広告代理店での経験を経て、Uターンで島に戻ってきた前田さん。
式根島にはもともと、引越しを手伝い合う文化が根づいていました。誰かが島を離れるとき、誰かが新しく来るとき、自然と人が集まる。

「自分たちも、そうやって支えられてきたから」
そんな関係性が当たり前にある場所です。

だからこそ、池田さんの構想も、特別な仕組みとしてではなく、もともと島にあった文化の延長として、自然に受け入れられていったのではないでしょうか。

技術を“島に残す”ということ

引越しを専門に扱う事業者がいない式根島で、この取り組みを続けていくためには、「引越しの技術を島に残すこと」が不可欠でした。初年度はアイランデクスのスタッフが現場に入りましたが、継続のためには島内で完結できる体制が必要です。

前田さん:「一番不安だったのは梱包です。海を渡るので、荷物が動かないようにしなきゃいけない。ロープ固定や積み方まで細かく教えてもらいました。」

段ボールの詰め方、緩衝材の使い方、コンテナへの積み方。
一つひとつの工程には、海を越えて運ぶための工夫と、離島ならではのノウハウが詰まっています。

前田さん:「『ソファーだったら専用の梱包材があるよ』とか、『これは上に乗せちゃだめだからね』とか。重量物と軽量物で、どこに置くか、順番まで全部教えてもらって。口頭で分からないところは動画を送ってくれて、すごく分かりやすかったです。」

現場での実践を重ねる中で、島に合った役割の分け方も見えてきました。

前田さん:「ボランティアで来てくれる方には、ダンボールなどの軽い荷物を運んでもらって、テレビや冷蔵庫のように注意が必要なものは、僕たちが担当するようにしています。

そうやって役割を分けることで、手伝いたいと思ってくれる島の人たちの気持ちを受け取りながら、お客さんにも安心してもらえる形になってきたと思います。」

こうして、プロの技術と島の助け合いが混ざり合い、仕組みは少しずつ根づいていきました。

この取り組みを通じて見えてきたもの

—— この取り組みを通じて、どんな変化や手応えがありましたか。また、今後の展望などあれば教えてください。

池田さん:「今まさに引越しシーズンなんですが、前田さんから『こんな風に積みましたよ』って写真が送られてくるんです。私たちはコンテナにきれいに荷物を積み込むことにこだわっているんですが、前田さんたちもそれを気に入ってくださって、『どうですか、こんなにきれいに積み込みましたよ』って。

それを見ると、私たちのカルチャーがちゃんと伝わっていると感じますし、誇りを持って仕事を楽しんでいただけている。その関係性が生まれたことは、本当に一生の財産だと思っています。」

さらに池田さんは、この仕事そのものへの想いも語ってくださいました。

池田さん:「運送業界って、いわゆるブルーワーカーと呼ばれて、あまり人気のない仕事とされがちなんですが、本当はすごく楽しい仕事だと思っているんです。

人とのつながりを大切にする運送は、お金を払ってでもやりたいくらい楽しいもの。その楽しさを体現してくれる方が島に増えて、一緒に盛り上げていける。その芽が生まれたことが、本当に嬉しいですね。」

アイランデクスとの協働を通じて、「仕事の楽しさ」と「プロの技術」を受け取った前田さん。
この経験は、HANDYMANとしての活動を大きく広げるきっかけとなりました。

前田さん:「短期的ではあるけれど、島の中で雇用が生まれたことで、『こういう仕組みって島でも成り立つんだな』という発見と手応えがありました。すごくいい起爆剤だったんです。

いろんな人に協力してもらえば、大方できないことはない。池田さんとの引越し事業が皮切りになって、ありがたいことに島内からもいろんな相談が来るようになりました。あの出会いが、間違いなく今の自分たちのスタートラインでしたね。

そうやって動いていく中で、やっぱり一番に思っているのは次の世代のことなんです。自分たちの子どもたちが、安心して島に戻ってこられる環境を、僕らの代でつくっていかないといけない。

自分が若い頃は『島に戻っても仕事がない、住む場所がない』と言われてきたからこそ、仕事がある、住める場所がある、そういう地盤を整えていくのが、今の自分たちの役目だと思っています。」

池田さんがインタビューの最後に、離島振興法の成立にも寄与した民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』にある一節を教えてくれました。

「人の見残したものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。」

多くの人が見過ごすもの、切り捨てられてきたものの中にこそ、本質や次のヒントがある。そんな教えです。

いまの時代に置き換えれば、「みんなが見ているもの」から少し視線を外すこと。そこにしかない可能性に気づくことでもあります。今回の取り組みもまた、外から新しい仕組みを持ち込むのではなく、島にすでにある文化や人との関係性を土台にしながら、「ともに」かたちをつくってきたものでした。その積み重ねは、引越しの課題を解決するだけでなく、雇用を生み、地域の中に取り組みが根づきはじめています。

効率やスピードの中で、こぼれ落ちてきたもの。
それは、関係性であり、時間であり、誰かと一緒に共同作業をする喜びだったのかもしれません。

これからも残していきたい文化を大事に、2人は着実にあゆみを進めています。

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