

「流れ」に委ねた先で出会う、風景と人と表現の可能性
写真、グラフィックデザイン、映像制作などジャンルを横断しながら多彩な表現を追い求めるクリエーターのフルタヨウスケさん。
東京でデザイナーとしてキャリアを積んだ後、流れに身を任せるようにたどり着いた八丈島で、独自の表現活動を続けています。
「形にとらわれない表現」「流されることを楽しむ生き方」
フルタさんのこれまでの歩みと島での活動を通じて、これらのキーワードが見えてきました。
計画通りではないからこそ出会えた景色、人、そして表現の可能性。偶然に導かれるままに“流されてきた”その先にどんな面白さが広がっているのか、フルタさんの言葉を深く掘り下げていきます。
フルタヨウスケ(グラフィックデザイナー/フォトグラファー/映像ディレクター)
岐阜県美濃市生まれ。名古屋のデザイン専門学校を卒業後に上京し、広告やファッション関係のプロダクションを経て独立。映画や音楽、ファッション、DVDパッケージなど、多岐にわたるジャンルのデザインを手がける。
その後、東京から鎌倉へ拠点を移し、地方企業や店舗、生産者のブランディングに携わるようになる。さらに、地方とのつながりをきっかけに、定住せず各地に滞在しながら、その土地ならではのビジュアルを制作するスタイルへと移行。
現在は東京の離島・八丈島に拠点に、岐阜と行き来しながら全国で活動。「人と世界を、つなぎ直す」をコンセプトに、デザイン、写真、映像を組み合わせたトータルビジュアルディレクションを提供している。クライアントワークと並行して、映像・写真作家としても作品制作を行っている。
WEBSITE:anpw.cc
instagram:@yosukefuruta
Youtube:@yosukefuruta

大里アトリエの向かいにある園芸家の観葉植物につけるラベル

八丈島産チーズのブランド「エンケルとハレ」カタログ
イラストからデザイン、そして映像へ
ー多彩な肩書で活動されているフルタさんですが、「表現」に興味を持たれたのはいつ頃ですか?
フルタさん:父が趣味で油絵を描いていた影響もあり、小さい頃から絵を描くのが好きでした。高校では美術部に入りましたが、すぐ辞めてしまって(笑)。でもアニメやイラストが好きだったので、専門学校ではイラストを専攻しました。
ーそこからデザインの道に進まれたきっかけはなんだったんですか。
フルタさん:専門学校2年の授業で初めてMacに触れて、衝撃を受けたんです。それで僕の人生が変わっちゃったんですよ。イラストよりも断然面白く感じて、そこから一気にデザインにのめり込みました。なので、ちゃんとしたデザインの教育はほとんど受けていないんです。
ーMacとの出会いが転機になったのですね。
そこからどうやって今のお仕事につながっていったのでしょうか?
フルタさん:「とにかく東京に行きたい」と上京して、秋葉原のパソコンショップでバイトしながらお金を貯め、中古のMacを買いました。当時はWeb黎明期で、HTMLを手打ちしてサイトを作るような時代。そこからWeb制作のバイトを始め、小さな広告制作会社に就職したのがスタートでした。

ー写真を撮るようになったきっかけについて、教えていただけますか?
フルタさん:明確なきっかけは覚えていないんですが、若い頃から自然とカメラを持っていました。広告的な写真に惹かれて、自分でも撮ってみたくて。人の写真を撮るのは好きですが、被写体を自分の表現の“要素”として捉えている感覚は今でもあります。
ーいまでは写真にとどまらず、映像にも活動の幅を広げられていますよね。
フルタさん:やっぱり「物語」がキーワードなんですよね。グラフィックや写真集もページ構成によって物語を描くものですが、映像はそれが時間軸に乗って、より広がっていく感覚。僕の中では、自然な表現の延長線上にある感覚です。
八丈島との出会いと変化
ー八丈島との出会いはどのようなものだったのでしょうか?
フルタさん:鎌倉に住んでいた頃、毎日通っていたカフェで、八丈島でチーズ作りを始めようとする『エンケルとハレ』のチーズ職人の魚谷さんと知り合ったのがきっかけです。それで「面白そうだね、行ってみようよ」と、みんなで島を訪れたのが最初でした。
牛乳やチーズを使って島で何かできないかという話から、カフェのオーナーたちと移動販売のパンケーキ屋を始めることになり、僕はその記録として写真を撮ったりしていました。夏に1ヶ月ほど通う生活が4〜5年ほど続きましたかね。

ほかのメンバーが忙しくなってパンケーキ屋は終了しましたが、僕はノマドとして自由に働いていたので、自然と通い続けるようになりました。そこで今のパートナーと出会い、結婚を期に移住しました。
ーそうだったのですね。島での仕事は、都市での仕事とはやはり違いますか?
フルタさん:全然違いますね。東京でやっていたようなエンタメ系の仕事だと、大きな会社相手で担当者のさらに奥に決裁者がいて……と距離が遠い。だからクライアント本人の顔が見えにくいし、正直、グラフィック単体の影響がどこまであるのかも曖昧なんです。売れるかどうかは宣伝全体の戦略による部分が大きいので、比較的気楽に取り組める側面もありました。
でも島では、仕事の多くが個人対個人。クライアント本人と直接やり取りをすることが多くなって、「どうしてこのデザインを必要としているのか」「どんなふうに届けたいのか」といった想いを直接聞きながら制作するようになりました。
その人にとって「最もいいデザインとは何か」をより強く考えるようになりましたし、責任も大きくなりましたね。

「流れ」に任せて見えてきたもの
ーフルタさんのこれまでの歩みを聞いていると、「流れに任せる」という姿勢がとても印象的です。そうした考えに至った背景には、どんな経験があったのでしょうか?
フルタさん:24歳で独立したときは、一生東京で“おしゃれなデザイナー”をやっていくんだと思っていたんですよ(笑)。でも、30歳半ばくらいで自主制作映画を撮ってお金を全部使ってしまって、鎌倉に移住しました。そこからさらにノマドワークが始まって、各地を巡る中で八丈島に出会い、結果的に今ここにいます。

思い返してみると、すべてが計画通りに進んだわけではなく、「流されてきた」結果だなと思うんです。むしろ、「流されたからこそ面白いことに出会えた」と、今ではそう感じています。
ー「流れに任せること」の面白さって、どんなところにあると思いますか?
フルタさん:ある映画の中で「自分の計画から外れた時に、初めて本当の人生が始まる」というような言葉があって、すごく心に響いたんですよね。予期せぬ展開の中にこそ本当の面白さがあるんじゃないかって。
都市にいると、整った“面白さ”に囲まれてはいるけれど、どれも同じように感じるんです。でも地方、特に島のような場所には、「なぜこんな場所に?」「何なんだこの人?」みたいな想像を超える出会いがあるんです。
大里地区のアトリエとこれから
ー現在、拠点とされている大賀郷の大里地区は玉石垣が並ぶ歴史的な場所ですよね。
なぜここにアトリエを構えることになったのか教えてください。
フルタさん:きっかけは、去年、大島の波浮地区を案内してもらったことでした。あのエリアって、港やコロッケ屋さん、そこへ続く路地の感じも含めて、すごく面白い空気があって。歩いて行ける距離にいろんなお店が集まっていて、それを「八丈島に置き換えたら、どんな場所になるかな」と考え始めたんです。
それで、「あ、これは大里だな」と。以前、夏に友人と大里地区を歩いた時「この空き家、誰も使ってないね」と話していた物件があって、そこがちょうど気になっていたんですよ。

そしたら、たまたまパートナーがその物件の大家さんを知っていて、「もう誰にも貸すつもりはなかったけど、あなたたちならいいよ」って。まさに不思議なご縁でした。「借りたいです」って言ってから、ほんとに1〜2日で決まったんですよ。
ー 本当に不思議な縁ですね。今後の展望はありますか?
今は2階を仕事場として使っていますが、空いている1階を”使い方を限定しない場所”にできたらいいなと思っています。イベントや作品展示をしてもいいし、ふらっと話をしに来てもいい。この場所で様々なクリエーションが生まれるといいなと思いますね。
僕は自分の役割を「風を入れる人」だと思っていて。この場所に風が通れば、人も自然と動き出すし、会話も生まれる。実際、借りたあとに裏庭の木を切ってもらったら、近所の人たちもすごく喜んでくれて、「昔ここはみんなの集まる商店があって……」って昔の話をしてくれるようになって。

だから、僕は、ここで何か特別なことをするというより、この場所を“誰でも入りやすい状態”で保っておく、いわば管理人のような役割。そうすることで人と場所とが繋がって、また新しい流れが生まれてくると思っています。
決めすぎず、流れるように進むフルタさんの生き方は、偶然の中にこそ想像以上の面白さがあることを教えてくれます。大里地区に構えたアトリエが今後、どのように形を変え、どのような場所になっていくかとても楽しみです。
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